もう一度、信じようとしてくれた。6歳の柴犬、分離不安との対話。

柴犬

環境の変化からひと月が経ち、ようやく日常に静けさが戻ってきました。
今回の出来事は、6歳の乃亜にとって、これまでの人生で最も大きな試練だったと感じています。

事の始まりは、前の住まいで少しずつ段ボールが増えていった頃でした。積み上がる荷物と、景色が削ぎ落とされていく様子を、乃亜は落ち着かない様子で見つめていました。そこに重なるようにして、家の中から「当たり前にあったはずの存在」がいなくなるという、決定的な変化がありました。

乃亜にとって、それは生まれてからずっとそこにあった世界が、音を立てて崩れていくような時間だったのだと思います。そんな混乱が収まらないまま、わたしたちは新しい家での生活をスタートさせることになりました。

分離不安という現実

新生活が始まって直面したのは、乃亜の「分離不安」でした。
わたしが仕事へ行こうと扉に手をかけるだけで、彼女はひどく怯え、不安を剥き出しにするようになりました。
その不安は鳴き声だけではなく、わたしが不在の間、彼女は不安のあまり自分自身を傷つけてしまうこともありました。

ボロボロになった彼女の姿を見て、知り合いの獣医に相談し、こう言われました。

「これは一種のトラウマのようなもので、すぐには治らない。気長に向き合っていく必要がある。」

専門家から見れば、それほど彼女の心は深く傷ついていたのだと思います。その言葉に、一時は立ち尽くすような思いでした。

迷いを捨て、向き合うと決めたこと

しかし、自分を傷つけてまでわたしを求める彼女の姿を見た瞬間、わたしは迷うのをやめました。
その日からすぐに、すべての優先順位を乃亜に置く生活へと切り替えました。

わたしが具体的に取り組んだのは、特別な訓練というよりも、わたし自身の振る舞いを変えることでした。

  • 「心配」を「日常」に変える
    わたしが過度に心配すると、その空気は余計に彼女を不安にさせます。だから、努めて「今、この一瞬を楽しむ」ように振る舞いました。成功した時は、以前よりもわたし自身が喜んでいる姿を見せ、ご褒美をあげる。不安の連鎖を、喜びの連鎖で上書きしていく作業でした。
  • 淡々と、けれど丁寧にケアをする
    傷ついてしまった箇所は、彼女が嫌がらないタイミングを見計らって薬を塗り、清潔に保ちました。その際、わたしはあえて一切のリアクションを取りませんでした。声をかけることさえ過剰な刺激になり得るからです。ただ淡々と、作業としてケアを終える。それがわたしなりの、彼女への向き合い方でした。
  • 環境と距離を整える
    留守番中、リラックスできるよう音楽を小さく流して出かけるようにしました。また、家にいる時も、彼女が自らわたしの横に来るまでは、あえて撫でたりしません。歩み寄ってくれた時だけ、優しく撫でる。これを何度も繰り返すことで、彼女自身のペースを尊重しました。
  • 視界に入る場所に、わたしがいること
    仕事を早めに切り上げ、家で作業をする時も、必ず彼女の定位置からわたしの姿が見える場所に座るようにしました。「姿が見える場所で、わたしが穏やかに過ごしている」という事実が、彼女にとって何よりの薬になると信じたからです。

それは、一人と一匹で生きていくための「覚悟」でした。

深まった絆

知り合いの獣医に言われた「すぐには治らない」という予測を、良い意味で裏切ってくれたのは、乃亜自身の頑張りでした。
彼女は不安に震えながらも、わたしの言葉を聞こうとし、わたしが必ず戻ってくるという事実を、一つひとつ納得してくれているのが伝わってきました。

傷つきながらも「もう一度信じよう」としてくれる、6歳の柴犬なりの強い意思。それこそが、わたしたちの時間を再び動かしてくれました。

今、乃亜は以前のように、当たり前にお留守番ができるようになっています。
仕事に出る際、彼女は自分の定位置で静かにわたしを見送り、帰宅した際には穏やかな表情で迎えてくれる。自分を傷つけることも、もうありません。

分離不安という大きな波を二人で乗り越えたことで、わたしたちの絆は以前よりもずっと深い場所で繋がったと確信しています。

この数週間の葛藤と、痛みをこらえながらも前を向こうとした彼女の健気な姿を、わたしは一生忘れることはないでしょう。それは、穏やかな時だけを共にしてきた頃には気づけなかった、重みのある信頼関係です。

静かな部屋で、乃亜が安心して深く眠っている。
その背中を見るたびに、わたしは「これでよかったのだ」と自分自身にも言い聞かせながら、また新しい朝を迎えています。

犬を迎えるということは、単に癒しを得ることではなく、ひとつの命の平穏を最後まで背負うことなのだと、改めて教えられた出来事でした。

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