いつか柴犬と暮らしてみたい——そう思っていた頃は、毎日一緒にのんびり過ごす、みたいなイメージを描いていました。けれど、実際に乃亜と暮らしてみると、良い意味で想像は裏切られました。かわいいのは間違いない。でも、ただ「かわいい」で片づけられるほど単純じゃないんです。
気まぐれ、でもそれが心地いい
まず、柴犬は気まぐれです。呼んでも来ない日が普通にあるし、「おいで」と言っても、ちらっとこちらを見て、そのまま寝る。こっちが構いたい時に限って、あえて距離をとる。最初は少し寂しかったけれど、この“ツン”があるから“デレ”が沁みる。今はそのバランスが心地よく感じます。
頑固さは個性。外でしかしないトイレ問題
頑固さも、柴犬の大切な個性。うちの乃亜は家でトイレをしません。今もトイレトレーニングの真っ最中ですが、基本的には外派。
雨でも雪でも、外でしかしないと決めているようです。最初の頃は「たまには室内で頼む…」と思いましたが、今ではこちらが合わせるのが当たり前になりました。天気や仕事の都合で生活が振り回されることもありますが、不思議と悪くない。強制的に外の空気を吸う時間ができるので、結果的にこちらの気分転換になっています。

静かなサインを読み取る楽しさ
手間がかかるのは事実です。抜け毛はすごいし、換毛期はブラシをかけても翌朝にはまたふわふわ。でも、その時間に話しかけると、乃亜は静かにこちらを見るだけ。しっぽは振らないけれど、目を見れば気持ちが分かる。派手なリアクションではなくても、ちゃんと伝わるものがあるんです。静かなコミュニケーションというか、「分かる人には分かる」サインを毎日やり取りしている感じです。
“ちょうどいい距離感”がくれる安心
距離の取り方も絶妙です。べったり甘えるわけじゃないのに、ふと気づくと隣に座っている。「一緒にいたいけれど、べったりはイヤ」——まさにそんな感じ。人間関係でも大事にしたい“間”に近くて、無理がない。気づけば、その距離感にこちらの方が救われています。

暮らしのリズムが整っていく
表情も豊かです。ごはん前の真剣な目、散歩前のそわそわ、少し不満な時の耳の角度。言葉が通じなくても、日々の積み重ねで「今はこういう気分だな」と自然と分かるようになる。これは一緒に暮らしてみないとわからない楽しさでした。
暮らしのリズムも変わりました。朝は散歩から始まり、夜も寝る前に外へ。忙しい日ほど、この散歩の時間が効きます。短い時間でも外に出ると頭がリセットされて、家に戻るころには余分な焦りが抜けている。乃亜は相変わらずしっぽを振らないけれど、歩幅が揃うだけで十分伝わるものがあります。
受け入れられる人だけが、一緒に幸せになれる
柴犬は、気まぐれで、頑固で、まっすぐ。人間の都合では動かないけれど、信頼した分だけ、静かに応えてくれる。一緒に暮らすというより、「同じ時間を共有している」感覚に近いです。
そして——柴犬と暮らすには、この“思い通りにならなさ”を受け入れられるかどうかが、とても大事。 雨でも雪でも散歩に行く覚悟、抜け毛や気まぐれも笑って受け止められる余裕。そういうことを我慢ではなく「これも含めてこの子」と思える人だけが、きっと柴犬といい関係を築けるんだと思います。

おわりに
“かわいい”を超えて、生活が少しずつ整っていく。気づけば、乃亜との時間が一日の中でいちばん穏やか。そんな毎日が、今の自分にはちょうどいい。柴犬と暮らすって、そういうことだと思います。
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